作家志望で三児育児中の40代主婦

長女(8歳)、次女(3歳)、長男(1歳)の育児をしながら、小説やエッセイを書いています。

R指定の創作物が大好き💛

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R指定大好き

 

 私は暴力や残酷なシーンがたくさん出てくる映画や本、漫画が大好きだ。

 例えば、映画なら三池崇史監督の「殺し屋イチ」、園子温監督の「冷たい熱帯魚」。本なら村上龍氏の「インザミソスープ」、村田沙耶香氏の「生命式」。漫画なら真鍋昌平氏の「闇金ウシジマくん」、山本英夫氏の「ホムンクルス」等の大ファンである。

 暴力シーンや殺人シーンが出てくると、心がワクワクする。三池崇史監督の「殺し屋イチ」では、ヤクザ同士の拷問シーンがあるのだが、背中に煮えたぎった油をかけるシーンでは「おお、いいねぇ」とつい言ってしまう。

 村田沙耶香氏の「生命式」では、死体を解体して肉を取り出し、肉団子を作るシーンがある。村田氏の描写力が素晴らしすぎることもあり「オシャレだなー」と感じてしまう。

 私にSM趣味やカニバリズム(食人)の趣味があるわけではない。そうゆうものを扱った創作物が好きなのだ。

 現実の世界では、毎日のように暴力的で残酷なニュースが流れている。0歳の子供を母親が虐待して殺したとか、バラバラになった死体が発見されたとか。そういうニュースを観て「やったね!」とは思わない。ひどい母親だ、子供が可哀そう、と思うし、死体をバラバラにした、って、よくそんな恐ろしいことを・・・、と思う。

 でも、その母親やバラバラにした犯人は、どういう心境で、そんなことをしてしまったんだろう、と関心は湧く。どんな環境で育って、どういう心理構造をしていて、脳の働きはどうなっているんだろう、と考えてしまう。つい、インターネットで何時間も検索してしまったりする。そして、調べつくして、何となく分かったような錯覚に陥り「人間は不公平だ・・・」と、妙な脱力感を覚え、しばし放心してしまう。で、自分はそういう人間にはならないぞ、と思いつつ、でもどこかで、自分もそういうことをいつかしてしまう可能性はゼロではないんだろうな、と恐ろしくもなる。

 結局、私は人と自分を比較して楽しんでいるんだろうな、と思う。

 暴力的でひどい人間がいる → 私はそうじゃない → ああ、安心した。

 残酷で恐ろしい人間がいる → 私はそうじゃない → ああ、安心した。

 現実の自分は、いかに善良で恵まれていて幸せかを確認したいために、わざわざ恐ろしい映画や本を観て、自分と比較して安心を得る。つまり、自己満足したいために、そういったものを好んで手に取る。何とも浅ましい行為である。

 まあ、そういう理由も一つにはある、ということで、単に説明のつかない「好み」の問題もあるだろうし、今、書いていて思いつかないが、別の理由もあるのだろうと思う。

 私のように「暴力モノ・残酷モノ」を好きな人は多数いるだろう。他者はどのような理由付けをしているのか興味がある。

 その理由を知ったら、きっとまた自分と比較するのだろう。結局「自分にしか興味がない」ということに行きつく気がする。でも、そうじゃない人間なんているんだろうか。皆、結局、自分にしか興味がないんじゃないか。

 こうやって、延々とくだらない思考のループに陥るのである。